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お茶の歴史





西暦
できごと
紀元前2737年頃
今日の漢方薬の基礎を築いたと言われる神農帝が山野を駆け巡り、草木を口にして、それが食べ物になるか、薬になるかを調べるために一日72もの毒にあたり、その度に茶の葉で解毒したという伝説があるそうな。す、すごい。
729年
聖武天皇がこの年の誕生会で宮中に100人の僧侶を招き、般若経(はんにゃきょう)を講読させ、参列した僧侶のためにお茶を振舞ったという『行茶の儀』が行われたそうな。お湯を沸かす人もこりゃ大変だ!
794年
桓武天皇が都を平安京に移し、『大内裏(だいだいり)』(簡単に言うと、お偉いさんが住む町みたいな所)の中に茶園をつくったそうな。
805年
天台宗の開祖、最澄さんが中国の唐より茶の種を持ち帰り、滋賀県大津市にある比叡山(ひえいざん)の山の中にその種を植えたそうな。のちに日吉茶園となりました。ちなみに日本最古の茶園らしいです。
806年
真言宗の開祖、空海さんが中国の唐より茶の種を持ち帰り、奈良県宇陀市にある仏隆寺の境内に弟子の堅恵(けんね)さんがその種を植えたそうな。のちにその場所が大和茶発祥の地となりました。
815年
嵯峨天皇が琵琶湖へ行った帰りに大僧都の永忠さんが自ら茶を差し上げ、そのお茶をえらく気に入った天皇は各地に茶を植えさせたそうな。すっごいお茶好きな人ね!ちなみに、この事が書かれている『日本後記』はわが国の喫茶記録の第一号なんです!わぉ!
827年
天皇などのお偉い方の命令により編集された詩集『経国集』に茶に関係する字が書かれており、当時の上流階級の人達の喫茶風情が詠(うた)われています。
902年
醍醐天皇が仁和寺に行った際に、宇多天皇にお茶をすすめ、一緒にお茶を飲んだそうな。
951年
京の町に謎の伝染病がはやり、村上天皇は、このたちの悪い伝染病を追い払うために六波羅蜜寺(ろくはらみつじ)の空也上人(くうやじょうにん)に祈願せよと命令し、日夜懸命に祈願しましが、なかなかおさまらなかったそうな。そこで、空也上人は街角に立ち祈願するとともに、町中の人々に薬用として梅干を添えたお茶を飲ませたそうな。すると、次第にその伝染病は鎮まり、それから村上天皇は毎年、正月の元旦にそのお茶を飲むよになったそうな。そのお茶は、天皇が服することから『皇服茶』(おうぶくちゃ)と呼ばれるようになり、今現在でも、京都の方ではお正月には梅干を添えたお茶を飲むという風習がのこっています。ちなみに、そのお茶は今では『大福茶』(おおぶくちゃ)と言って、決して大福(甘いやつ)が入ったお茶ではありませんよぉ~
1168年
この年の春、臨済宗の開祖栄西禅師が中国の宋に渡り、その年の秋に茶の種を持ち帰り、九州の佐賀と福岡の県境にある背振山(せふりさん)に種を植え、抹茶の製茶法やお茶のたて方を日本へ初めて伝えたそうな。おいら、抹茶の事はよく解らないっす!よしっ勉強してみよう!

     お茶の歴史はまだまだ続きます。
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西暦
できごと
1207年
華厳宗の僧侶で宇治茶の創始者と言われる明恵上人さんは、栄西禅師さんから譲り受けた茶の種を京都の栂尾高山寺内に植えて、さらに宇治、伊勢、駿河、川越にもお茶を広めたそうな。昔の人は足が丈夫だね。ちなみに、高山寺境内には『日本最古の茶園』の石碑があります。ん!?ちょっとまてよ!たしか前にも日本最古って書いたような…あっ『日吉茶園』だ!う~んどっちが日本最古かなぁ~?そういえば、温泉まんじゅうにも「本家」と「元祖」があるしぃ~…どっちも日本最古という事で…ちなみにおいらは黒柳派(伊豆長○温泉)なんですけどね…答え出てないじゃん!!
1214年
栄西さんが、茶の栽培方法からお茶の効能を書きとめた『喫茶養生記』という上下二巻からなる書物を書き著したそうな。鎌倉時代の歴史書の「吾妻鏡」によると、3代将軍の源実朝(みなもとのさねとも)さんの二日酔いに対し、『喫茶養生記』を差し上げて、お茶をすすめたところ、たちまちに気分爽快になったそうな。お茶パワー全開だね!
1241年
鎌倉時代の高僧で東福寺(京都)を開山させた聖一国師さんが宋(中国)より茶種を持ち帰り足久保(静岡市)に植えたそうな。静岡のお茶は足久保が発祥の地とされ、今では日本一の茶産地となりました。
1267年
大応国師さんが宋より茶道具一式と茶に関する書物を持ち帰り、中国の茶の方式を大徳寺(京都)に伝え、闘茶(簡単に説明すると何種類かのお茶を飲み、その銘柄などを当てる遊び)などの習俗を日本に持ち帰ったそうな。なんとこの御方は静岡生まれで産湯に使われたと言われる井戸がうちの近くにあるんですよぉ!
1274年
西大寺(奈良)の大茶盛(おおちゃもり)が始まる。大茶盛とは鎌倉時代に西大寺を再興した僧の叡尊(えいそん)が、正月の法要が無事終わったことを感謝して近くの神社に献茶した残りを、人々に振る舞ったのが始まりとされます。直径30~40cm程で重さ約7㎏の茶碗に茶をたてて、みんなで廻し飲みをするという豪快な行事である。
1321年
仏乗禅師さんが元(中国)に行き、日本に初めて『茶経』(陸羽が著した書物)を持ち帰ったそうな。
1338年
足利尊氏さんが室町幕府を開き「建武式目」を定め、その中で、その時代大流行した連歌会や茶寄合を禁止させたそうな。別にいいじゃん!って感じだけど。
1378年
足利義満さんが京都室町に幕府を移し、宇治に茶を植え、宇治・栂尾・醍醐の三ヶ所を茶の佳地と定めたそうな。そして1397年に金閣寺を建てました。
1483年
足利義政さんは父である義満さんの金閣寺をならい銀閣寺を建てるとともに、遊戯的な闘茶にあきて能阿弥さんと相談しながら書院造の茶室を造り、わび茶(茶道)を始め盛んにさせたそうな。そして、義政さんに仕えていた僧侶の村田珠光さんがこれを奈良流茶道とし、茶の湯(茶道)の開山となりました。また、わび茶は珠光さんの門下生である武野紹鴎さんから千利休さんにより完成させたそうな。

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西暦
できごと
1504年
明から渡来した紅令民(こうれいみん)が南京釜を持ち込み、生茶葉を高温の釜で炒る「釜炒り茶」の製法を嬉野地方に伝授したそうな。
1570年
千利休さんが織田信長さんの茶頭となる。
1576年
織田信長さん安土城を築き茶の湯を楽しんだそうな。
1583年
千利休さんが豊臣秀吉さんの茶会の茶頭をつとめたそうな。
1587年
秀吉さんが九州を征伐して、その年の10月1日に京都の北野で大茶会を催したそうな。茶頭は千利休・津田宗及・今井宗久がつとめ、800人程の公武や庶民の方々が参加したそうな。
1591年
秀吉さんの命令により、利休さんが切腹を命じられる。利休さんが亡くなった後、わび茶は古田織部(織部流)、その弟子の小堀遠州(遠州流)、続く片桐石州(石州流)の大名茶(書院茶)と、京と大阪の町人が好んだ千家や藪内などの流派や家元制度に二分して発展していきました。
1610年
ヨーロッパへ初めて日本茶が輸出されたそうな。
1612年
徳川家康さんが茶会用のお茶を品質保全するために、井川(静岡)の大日峠に茶蔵を建て茶壷にお茶を詰めて保存させたそうな。
1623年
元和年間(1615~1623)駿河(静岡県中部)に茶問屋ができ盛んになってきたそうな。
1633年
徳川三代将軍の家光により『お茶壺道中』が始まり、宇治から江戸まで2週間かけて運んだそうな。将軍の権威を示すため茶壺をかごに載せ運び、多いときには400人を超す大行列だったという。ごはんとかどうしたのだろうか?
1636年
幕府が鎖国令を発し、茶の輸出を禁止させた。
1654年
中国より渡来した隠元禅師が宇治に黄檗山萬福寺を建立し、黄檗宗を広めるとともに、中国から煎茶の方式も伝えたそうな。
1679年
大阪に13軒の茶問屋が存在し、伊賀・丹波・宇治等のお茶を扱っていたそうな。
1685年
足久保(静岡)から江戸城へ御用茶として献上される。
1697年
筑前の宮崎安貞さんは農業の技術を学ぶため全国をまわり、自分が学んだ農業技術を他の農民にわかりやすく伝えるために「農業全書」という本を書きました。そして全国各地で番茶が生産されるようになり、江戸や大阪などに茶問屋ができ生産地には集荷仲買商ができたそうな。
1735年
「煎茶の祖」と言われている売茶翁(ばいさおう)さんが京都の東山に「通仙亭」と言う名の茶店を営み、一服一銭で煎茶を売って庶民に煎茶を広めたそうな。

     お茶の歴史はまだまだ続きます・・・   ま、まじっすか!!!   
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西暦
できごと
1738年
宇治田原(京都)の永谷宗円さんは「蒸し」「揉み」「乾燥」を取り入れ改良した「青製煎茶製法」を考案し、江戸の山本嘉兵衛さんに販売を託したところ、たちまち評判になったそうな。ちなみに永谷さん→永谷園、山本さん→山本山だそうです。両者とも長い歴史があるんですねぇ~
1835年
山本山の6代目山本徳翁が玉露の製法を考案したそうな。
1859年
横浜港が開港し、初めてアメリカへ製茶180トンが輸出される。
1867年
徳川15代将軍慶喜さんは、さまざまな政治的思惑が交錯するなか、困難を乗り越え大政奉還を行いました。そしてその頃、神戸も開港され茶の輸出が始まったそうな。
1869年
旧徳川藩士は牧之原(静岡)を開拓して茶園を造成する計画をたてました。約200名が参加した開墾は困難を極めましたが、彼らが拓いた土地を地元の農民が受継ぎ、やがて大茶園へとなりました。温暖な気候そして大井川の豊かな水などか良いお茶を育てたんでしょうね。いろんな意味であったかいぞ静岡!!!
1899年
清水港、四日市港で茶の輸出が始まったそうな。
1908年
杉山彦三郎さんが「やぶきた」を選抜する。有名な話ですが品種の研究のために、竹やぶを開墾し、集めたお茶の種子を蒔いて茶園をつくりました。その中から2本の優良系統を選抜し、やぶの北側に植えたものを「やぶきた」、南側に植えたものを「やぶみなみ」と命名しました。ちなみにこの「やぶみなみ」はまったく記録がなく品種として登録されることなく消えてしまったそうな。
1919年
静岡県の牧之原に国立茶業試験場が設置される。
1924年
三浦政太郎さん・辻村みちよさんが茶に多量のビタミンCが含まれる事を発見する。
1927年
「ちゃきり節」ができる。以外と最近なんですよね~!


と、簡単ではありますが、お茶の歴史をざーっと書かせていただきました。ここまで読んでいただきありがとうございました。
お茶の歴史はもっともっーと奥深いものであり、現在のお茶(飲み方を含め)になるまでには多くの人がたずさわり、研究に研究を重ねて現在のスタイルになったと思います。そしてこれからも新たな歴史が刻まれ、いろいろなお茶が生まれるかと思います。
新しいものも取り入れながら先代の思いも大切にし、これからも多くの皆様へおいしいお茶を提供していきたいと思います。日頃なにげなく飲んでいるお茶も、歴史を思い浮かべながら口にすれば、いつもとは違った味に感じるかもしれませんよぉ~ 

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